機動戦士ガンダムSEED Revival
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概要[]

今作のメインテーマに位置づけられるテーマである。言葉の矛盾が現すとおり、今作では賢者と愚者とは何か?がすえられている。

賢者とは?[]

賢者とは統一地球圏連合において争いが起これば試行錯誤し問題解決に動く者たちを指す。特にラクス=クラインカガリ=ユラ=アスハキラ=ヤマトアスラン=ザラの四人がその象徴という位置づけとなる。

彼らを賢者としているものは何であろうか?

彼らに共通してある思いには非常に広い範囲での他人への理解が根底に流れており、その多くが、自分の知るものの幸せを願う思いから生じている。

基本的に彼らは自分自身にさほど頓着していない。自らの幸せを勝ち取るために何かをするというような、主体的な思想は皆無に近いのが実情である。

彼らの思いは主に隣人に向けられる。その思いゆえにキラ=ヤマトは当時のオーブ連合首長国主席であったカガリ=ユラ=アスハを政略結婚から「救い出し」、カガリ=ユラ=アスハオーブ連合首長国軍の戦闘行為をとめるために「身を挺して止め」ようとし、それまで絶対に表舞台に出ようとしなかったラクス=クラインミーア=キャンベルの死を目の当たりにして、表舞台に出る「覚悟を決め」、アスラン=ザラは個をないがしろにするギルバート=デュランダルの政策に「反抗の狼煙をあげた」。

つまり、彼らの正義は常に他者の不幸を払拭するためにあったのだ。

キラ=ヤマトカガリ=ユラ=アスハのために、カガリ=ユラ=アスハオーブ連合首長国軍の命のために、ラクス=クラインミーア=キャンベルの生きてきた証のために、アスラン=ザラは個がないがしろにされることを防ぐために。

そのいずれもが、非常に広い見識に基づいた判断であったことは間違いない。

5年の歳月は彼ら4人にも変化を与えてはいる。しかし、「隣人を救いたい」という思いは依然として彼らの奥底に流れ続けているのである。

つまり、今作における賢者とは「優しき調停者」であり、「真の試行錯誤する愚者」に他ならないわけである。

愚者とは?[]

コズミックイラのこの世界において、一般大衆は常に愚民として描かれ続けてきた。大衆は支配者階級の情報操作により、時にはプラントを、時にはオーブ連合首長国を、時にはロゴスを敵と認識し、多くの血と財産をつぎ込んでいった。

彼らの中心にあるものは「独善」である事は否めないのが事実である。

多くの不幸と惨劇が渦巻く世界の中で、彼らは必死に生き抜いていく。愚者は自分の愛するもののために、隣人を裏切り、貶め、そして殺していく。

全ては愛するものを守るために、大衆は自らを変容させていかざるを得なかったのである。

あるものは自由のためと称し圧政を敷く政府に対してテロ活動を行い、あるものは終わることのない貧困の中で絶望と必死に戦いながら泥水をすすり、あるものは自らの信条を省みることなく、または反政府に正義は無いと気付き、政府と歩みを共にした。

時に、愚者は賢者と戦い、愚者と戦い、自らとは戦わない。

今作における本物の愚者とは「あがきながら逃げながら生き続けるもの」である。

賢者と愚者の対比[]

ここまでの賢者と愚者の説明を見て、懸命なる皆さんはお気づきかもしれない。

本来の賢者と愚者の意味は逆ではないか?ラクス、キラ、カガリ、アスランもまた賢者であり愚者なのでは?と

まさにその通りである。賢者の絶対正義VS愚者の試行錯誤のテーマとは自分の正義を他者に押し付ける今作でいうレジスタンスやテロリストの視点から見たねじ曲がったテーマであると話を読み進めれば気付くだろう。

この作品に出てくる全ての人物はある意味「愚者」として描かれる

賢者とは世界が彼らに望んだ偶像に過ぎないのである。混乱に満ちたこの世界は秩序を求める。それがたとえ、自ら勝ち取る必要の無いかりそめの秩序であっても、である。

彼らは忠実に世界の求めに応じて「賢者」たらんと努力する。その姿はまさに「愚者」そのものなのである。

つまりは、ラクス、キラ、カガリ、アスランの4人は愚者を乗り越えた先の「賢者」にたどり着いた者たちである。その新たに世に生まれた賢者に対して愚者が様々な思惑を巡らす物語である。

テーマの表現方法[]

状況[]

賢者の絶対正義と愚者の試行錯誤の対立は、多くは統一地球権連合レジスタンスの対立の形をとって表現される。しかし、賢者の前には多くの愚者が横たわり、多くの場合、愚者の絶対正義は賢者の試行錯誤に届くことすらない。

それでも認めずあがき続ける愚者が次第にまとまり、ひとつの力を持つ。それは確実に間違った力であろう。

今作ではこの愚者の集結、協力こそが愚者の試行錯誤の結果と言える。その中で他者を敬い、尊重し、協力する。その選択を出来た愚者になってで初めて人は未来への扉を開くことになる。

その扉こそ、賢者へと続く扉となる。

今作はまさに「賢者に行き着いた、またはそれを目指す愚者」と「あがいた結果、世界や人を憎むしか出来なかった本物の愚者」がぶつかり合うのがテーマです。

人物[]

ソラ=ヒダカは多くの愚者を目の当たりにする。

レジスタンス達は戦い続ける愚者として、各国の要人達は守り続ける愚者として彼女の前に現れる。そしてジェス=リブルのようなジャーナリスト達はつなぎ続けるものとして。

彼らの行動はソラの中にひとつの正義を形作っていく。それが「ソラの正義」である。自分の中に芽生えた正義にしたがってソラは行動を起こしていく。

そして彼女は色々な人と出会い、正義の形を何度も思い直し、作り直していく。

その行動は、世界中の愚者をつなげ、動かしていく。

これは普通の少女が優しき愚者となり賢者に寄り添う物語である。

テーマの核心[]

このテーマの核心はどうしようもないほどの現実を克服しようとする愚者が、自らの信じるものを押し付けるのではなく、共有することによって世界は変わっていくという理想論である。優しき愚者が世界を救うという希望である。

しかし本編において、デスティニープランという人類の可能性に見切りを付けて例え人類を自死に導いても平和を得ようとしたものを否定して争いから逃げず足掻く事を選んだラクス=クラインキラ=ヤマトたちの様に別の物語から描いていきます。

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