私が「人脳の器質的操作による精神疾患の治療」と言う論文を恩師に見せた時の事は未だに覚えている。
「君ね、コレは不味いよ?」
パラパラと論文を流し読みし、顔を顰めた恩師にやんわりと諭された。
「まあ、言いたい事は判るが……」
「教授はこう言う発想をなさった事は無いんですか?」
私が水を向けると、教授は苦笑した。
「技術としては可能だが、『倫理的』に不可能だろうね。少なくとも『倫理』と言うものに首を突っ込んで外野に叩かれる趣味はないな」
と、突然分厚い紙束を手渡される。
「前に、連合がやった……そう、『エクステンデッド』と言ったか?アレをザフトで解析した時のデータだよ。……この場で読んでくれ。メモの類もとらんでくれよ?」
何処から手に入れたのか。ソコには連合が行った人体実験の断片的では有るが生のデータがあった。記憶操作。演算能力の向上。身体機能の強化。etc.etc.
私の背中に2種の戦慄が走る。人としての嫌悪感と、大脳生理学者としての羨望が。
顔を上げると教授は笑みを浮かべていた。苦笑というには微妙な笑みを。かつての自分を重ねての「仕方ないな」と言う共感、とでも言うか。
「その連合の研究者が羨ましいかね?」
はっきりと聞いて来た。
「その代償に、エクステンデッドの叛乱で命を落としたそうだよ」
「教授、私は……」
「私もね、似たような理論を考えた事は有るよ。ただ、理論だけで実際にメスを入れる機会はついぞ無かった……そもそも「正常」な精神とは何かね?」
「知りません」
即座に私が答えたのに対し、教授は一瞬あっけに取られるが、次の瞬間爆笑した。
「き、君……だいぶ思いきった意見だね……だが」
顔を引き締めて続ける。
「だが、ソレが正しい姿勢なのかもしれんな。我々は人の脳髄を弄る事は出来ても、正しい人のココロなぞと言う得体の知れん規格を決める権利も資格も義務も無い」
「生化学的反応によって構築され自己組織化を生涯繰り返す神経細胞網に流れる電磁パルスが起動させているOSが人の精神に過ぎない訳ですから、「正しいヒト」なんて施政者の都合でコロコロ代わります。わざわざ泥仕合に関わるのも馬鹿げてますよ」
そう私が言うと、教授は本当に面白そうに笑い、一つ忠告をしてくれた。
「研究を続行するのは構わないと思うよ?但し、発表する際は慎重にね」
そして、今、私は生涯をかけても良い研究テーマを得ようとしている。
「君達には、『ある人物』をもう一人作り出して欲しい」
ゲルハルト=ライヒ。統一地球圏連合治安警察省長官。
私のような大脳生理学者を始め、心理学、微細機械工学等のエキスパートを集めた席でその男は言い放った。
つまり、『キラ=ヤマトを量産しろ』と。
この成果は最早表舞台で発表は出来まい。いや、我々の存在自体が秘匿されるかもしれない。 だが。
私は、その誘惑に勝てそうに無かった。